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最高裁判所第一小法廷 昭和27年(あ)3156号 判決 1954年4月15日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人後藤衍吉、同福島一郎の上告趣意第一点について。

被告人の拘禁中裁判所外で証人の尋問される場合にあっては特別の事情のない限りその弁護人に該証人尋問の日時場所等を通知して立会の機会を与えさえすれば必ずしも被告人自身をその尋問に立ち会わせなくとも憲法三七条二項、刑訴一五七条に違反するものでないと解すべきことは当裁判所の判例とするところである。(昭和二四年(れ)一八七三号昭和二五年三月一五日大法廷判決、判例集四巻三号三七一頁、昭和二四年(れ)三三六号昭和二五年九月五日第三小法廷判決、判例集四巻九号一六〇五頁、昭和二六年(あ)三〇五一号昭和二七年一月一一日第二小法廷判決、判例集六巻一号七八頁参照)記録によれば、原審が昭和二六年一二月一四日仙台地方裁判所石巻支部で証人安住進、遠藤和夫、畑中秀夫、木村ゆき等を各尋問するに当り拘禁中の被告人がその尋問に立会していないことは論旨の指摘するとおりである。しかし、右各証人尋問の際被告人の主任弁護人福島一郎、弁護人辺見惣作等がそれぞれ立会してそれ等証人を尋問していることが認められ、しかも同弁護人等の右各証人に対する反対尋問が妨害せられたことを疑うに足る形跡は記録上存在しないのである。のみならず前記各証人尋問調書については昭和二七年二月一五日の原審第二回公判期日において適法に証拠調がなされ、原審裁判長から反証の取調の請求その他の方法によって証拠の証明力を争うことができる旨を告げているのに対し、その公判廷に出頭していた被告人の弁護人等(主任福島一郎、辺見惣作、勅使河原直三郎)は勿論被告本人も別に争わない旨を述べていることが認められるのである。されば原審においては被告人の証人審問権を実質的に害しない措置は十分に講ぜられていたのであるから、被告人自身が前示証人尋問の際立会の機会を与えられなかったとの一事を捉えて、原判決に所論のような違法があるとはいい得ない。論旨は理由なきものである。

同第二点について。

所論証人安住進の尋問については原審において被告人のため既に十分審問の機会が与えられていたのでありこの点に関し憲法三七条二項に違反するかどのないことは論旨第一点について説明したとおりである。しかも一旦閉ぢた弁論を再開すると否とは裁判所の裁量に委ねられているところであるから、たとえ原審が前示証人の再尋問を目的とする弁論再開の申請を却下したからとて、原判決に所論のような違法があるとはいい得ない。論旨は採るを得ない。

同第三点について。

論旨は違憲をいうがその実質は単なる訴訟法違反の主張に帰着する。(第一審判決が所論被告人の検察官に対する供述調書の記載を事実認定の資料としていることは所論のとおりである。しかし右供述調書が検察官の拷問強要等によって作成されたものであるとは論旨も主張してはいないのであり、また記録を精査してもかかる事情を認むべき証跡は記録上存在しない。そして司法警察員の取調に際し仮りに所論のような事実があったとしてもかかる事実だけから直ちに検察官の供述調書まで拷問強要に基ずくものと即断し得ないことは多言を要しないところであるから、第一審判決が該供述調書を罪証に供したとしても、同判決及びこれを是認した原判決に所論のような違法があるとはいい得ない。)

同第四点について。

論旨は単なる訴訟法違反の主張を出でないものであって上告適法の理由に当らない。(鑑定は経験則の存否及びこれが適用に関する鑑定人の意見をその内容とするものであり、その証拠力は鑑定人の意見が客観的に真実に合するか否かに係わるに過ぎない。また刑訴一六八条の規定は当該強制処分の対象となる者のためにその基本的人権の保護を完からしむるために設けられたものに過ぎないものであるから、かかる者から異議がなされた場合は格別、かかる異議がなされない場合においてはたとえ同条所定の裁判所の許可を受けないでなされた鑑定であっても唯それだけの事由で鑑定そのものの証拠力及び証拠能力を否定すべきいわれはない。それ故本件血液の鑑定に際し鑑定人が血液の附着したズボンの小部分を切取ったことが物を破壊したことに該当しその破壊につき裁判所の許可がなかったとしてもただそれだけの理由で所論の鑑定を無効なりとする論旨は、採用に値しない。)

同第五点について。

論旨は事実審の裁量に属する証拠の取捨判断を非難するに帰し上告適法の理由に当らない。

弁護人阿保浅次郎、同福島一郎の上告趣意第一点について。

論旨は原審において控訴趣意として主張されず従って原審の判断を経た事項に関するものではないから上告適法の理由に当らない。のみならず、第一審判決が所論死体遺棄の事実として確定したところによれば被告人は第一審の相被告人安住進と共に被害者千葉を殺害し金員を物色した後その犯跡を蔽わんがため死体の始末について協議した末判示図書館二階の大便所が当時破損して使用を禁止されその戸は釘付けとなっていたので、其処に入れることとし両名で判示図書館内の宿直室である殺人の現場から死体を右大便所まで引ずって運び込み、右千葉の所持品を死体の上に抛り込み防臭剤をその上に撒き更に同便所の戸を外から釘付けにしたというのである。そして刑法一九〇条の死体遺棄罪は、死体をその現在の場所から他に移してこれを放棄することによって成立するものであるから、(大正一三年(れ)一七号大正一三年三月一四日大審院第六刑事部判決、判例集三巻二八五頁以下参照)、たとえ死体を判示図書館外に搬出しなかったとしても前示被告人の所為が死体遺棄罪を構成することは勿論、本件強盗殺人罪に吸収せらるべき関係にあるものとはいい得ない。所論軽犯罪法一条一九号は、正当の理由がなくて変死体又は死胎の現場を変える行為を取締ろうとする法意に出でたものであって、故意に死体を放棄する行為を処罰の対象とする死体遺棄罪とはその罪責を異にしている。されば本件死体遺棄罪と強盗殺人罪とを併合罪として処断した第一審判決及びこれを是認した原判決には所論のような違法があるとはいえない。

同第二点について。

所論は原審において控訴趣意として主張されず従って原審の判断を経ていない事項を新たに主張するもので上告適法の理由に当らない。のみならず第一審判決の確定した事実によれば、被告人等は被害者千葉を殺害し金員を物色したが発見できず、次いで同人の死体を判示大便所内に遺棄した後、千葉の置手紙を偽造しこれによって判示図書館職員遠藤和夫をして市役所会計課から送付された、前渡金及び宿泊料の金券を現金二八、〇〇〇円に替えさせた上、被告人阿部において右遠藤の隙を窺って該金員を窃取したというのであるから、所論窃盗の罪が前叙死体遺棄及び強盗殺人の罪と別個独立に成立すること勿論であり、これらの罪に吸収され若しくは牽連犯として一罪の関係にあるものといい得ないことは多言を要しないところである。それ故これと反対の見地に立つ論旨には賛同し得ない。

同第三点について。

所論は単なる訴訟法違反の主張を出でないものであって上告適法の理由に当らない。しかも昭和二五年一〇月二七日附鑑定書に関する所論の採用し得ないことは弁護人後藤衍吉同福島一郎の上告趣意第四点についての説明により明白である。また、同年一〇月二四日附鑑定書については、鑑定人村上次男において右鑑定をなすに当り裁判所の許可を得ていたこと、並びに第一審第三回公判において弁護人福島一郎がこれを証拠とすることに同意していることが記録上認められるのであるから所論はその前提を欠くものである。

同第四点について。

所論は単なる訴訟法違反の主張であり、上告適法の理由に当らない。しかしのみならず、所論原審の公判手続には所論のような違法は存在しない。すなわち、被告人の身体拘束に関する原審公判調書の記載が論旨の指摘するとおりであることは是認できるのであるが公判調書に被告人が身体の拘束を受けなかったという記載がないからといって唯それだけで直ちに被告人が公判廷で身体の拘束を受けていたといい得ないものであることは当裁判所屡次の判例により示めされた見解である。そして記録によると所論の各公判には検察官も立会し又被告人の弁護人等も出廷していることが窺われ、しかもそれ等の者から被告人の身体の拘束について異議の申立がなされた形跡もないのであるから、むしろ被告人は右各公判廷において身体の拘束を受けてはいなかったものと認めるのを相当とするからである。論旨は採ることを得ない。

同第五点について。

所論も単なる訴訟法違反の主張であり上告適法の理由に当らない。(記録によれば論旨指摘の各公判廷において本件事案につき被告人を尋問した形跡はないのであるからその人定尋問をしないことはむしろ当然である。)

同第六点について。

論旨の採用し得ないことは弁護人後藤衍吉同福島一郎の上告趣意第一点についての説明により明らかである。

被告人本人の上告趣意について。

本件事実審の事実認定はその挙示する証拠に照らしこれを肯認するに難くないのである。縷述の論旨は結局事実審が適法になした事実認定を非難するに帰着し上告適法の理由に当らない。

なお記録を精査しても本件で刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 真野 毅 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎)

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